前に紹介した『スクリプトドクターの脚本教室』で紹介されていたので観てみた。
プロデューサーや監督との台本書き直しが続く中で、主人公が「複雑化した展開の辻褄合わせ」に翻弄されたりした結果、脇役でしかなかった「サブキャラクターの行動原理」に「自己投影したり、過度な感情移入をしてしまう」ことで、サブプロットがメインプロットよりも魅力的になるらしい。
その参考テキストとしてこの映画が挙げられてていたので、シーン毎の概要(と解説)が書かれた本を読みながら観ていた。
帰りに男を車ではねてしまい、その死体を海に投げ捨てた。そして1年後、秘密を守り続けていた4人に「去年の夏、何をしたか知ってるぞ」といった強白状が届けられ、やがて奇怪な連続殺人事件が勃発する…。
簡単に言うとこの映画、主人公のジュリーよりも友達のヘレンの方が目立っている。
理由はジュリーのメインプロットの中で「感情の動く瞬間」がなかったため。
ヘレンは女優になる夢があったり、田舎のミスコンで優勝したり、家族と仲良くなかったり、彼氏がキレやすかったり…視覚的かつ動的な表現がされている。
それに対してジュリーも大学で上手くいってないけれどルームメイトとの会話でしか表されていない。情動の落差がセリフでしか表現できない立場にいるため不利らしい。
(ちょっとはしょって…)
この映画には辻褄の合ってないことや、過度な演出のために主人公のジュリーが無理しているらしい。だから主人公に共感できず、メインプロットを魅力的に感じないらしい。
そしてそれも「追加オーダー」が増えていくことで起こるので、仕方のないことでもあるらしい。
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