一週間に休みが二回あるとして、その二回が土日に固定されているとすれば、必然的に最も疲れているのは木曜日となるらしい。そんな一日を乗り越えて私は自宅に帰ってきた。
ただいま、という声も出なかったが、扉の開く音を聞いて、娘は父親が帰ったこと気づいたようだ。
「パパ、おかえりー」
声の代わりに手で挙げて答える。心配する娘の顔を見ないままなんとかリビングまで辿り着き、うつ伏せでソファに倒れ込む。
「皺になっちゃうから、先に着替えたら?」
キッチンで夕飯の準備をする妻に声をかけられたが「うーん…」とどちらともとれるような返事しかできなかった。
娘はおもちゃで遊んでいた。乾電池で動く白い犬のおもちゃだった。ジジジッと身体の中でネジが回る音をさせながら、右の前足、左の前足、右の後足、左の後足、規則正しく動いている。この動作は何度も見ていたので、今では目を閉じておもちゃを見なくても、ネジの音を聞いていれば、頭の中で歩き方をイメージできるほどになっていた。
しばらく目をつぶって、ネジの音を聞いていると、だんだんとネジの回る音がゆっくりになっていくことがわかった。そして、ついには音がしなくなり、おもちゃは動かなくなった。
「ねえ、パパ、ミルクがうごかなくなった」
この規則正しく歩くおもちゃの名前がミルクであることを初めて知った。加えて、歩き方を正確に把握されているにも関わらず、私に名前も知られていなかった白い犬を少し不憫に思った。
「あそこの引き出しに、乾電池が入っているから取り替えてみて」
私が左腕を一生懸命に伸ばして文房具や工具の入った引き出しを指さすと、それを見た娘は走って引き出しへと向かっていった。どの電池を使えばよいのか確認していなかったようで、電池を入れてあるプラスチックのケースごと運んできた。
白い犬の身体構造は単純なもので、お腹の部分に「on/off」と書かれたスイッチと、単三電池を二本入れるためのスペースがあった。娘は電池を外すところまでは自分でできたが、電極の向きが分からずに、「パパ、やって」と私のところへ持ってきた。それを私はうつ伏せのまま取り付けた。
スイッチが「on」の状態のままだったので、白い犬は乾電池を入れた途端に先ほどと同じネジの音をさせながら、規則正しい足の動きを始めた。
「よかったねー」
ソファに顔を伏せたまま言うと、まだ何かゴソゴソやっている。何事かと思って娘の方を見ると、単三電池を握りしめて私を見ていた。
「これ…」
握りしめた電池を私のお腹へとグリグリと押し付ける。白い犬と同じ身体構造だとでも思ったのだろうか。面白くなった私はもう少し観察しようと思い、動かないでいた。すると娘はまた電池箱を漁りだして、今度は更に大きい単一電池を取り出した。
「パパ、ミルクよりもおおきいから、でんちもおおきいほうがよいとおもって…」
私は少しニヤリとしながら「それじゃ動かないよ」と言って、すぐにまた顔を伏せた。
「もう! パパのでんちはどこにあるの?」
ついに娘が怒りだした。理不尽な怒りではあったが、どこか可愛げがあった。
「パパの電池はもっともっと大きいんだよ、おいで」
娘に向かって手招きした。すると娘は何かを悟ったのか、うつ伏せになった私とソファの間に潜り込んだ。
「あたしがでんちなの?」
「そうだよ」
「パパ、うごけるようなるの?」
「そうだよ」
「ふーん、へんなの」
顔は見えなかったが、その声は少し嬉しそうに聞こえた。
「ご飯できたよー!」
キッチンから妻の声が聞こえた。
「わたしもでんちいれてくる!!」
娘はすぐにお腹の下から出て行ったが、私はあと一日働くための充電をすることができて満足だった。
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