『天才になりたい/山里亮太』天才の見せ方

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ラジオで「天才になりたい」というタイトルの本があることを(たしかラジオで)知って面白そうだと思った。調べてみると山ちゃんの書いた新書だったので、即買って読んでみることに。

芸人になりたい。でも「天才」ではないことは、自分でよくわかっている。南海キャンディーズ山里亮太は、悩みながら、なんとかして自信をつけようとする。いわく、「張りぼての自信」。おずおずと、でも確かに、歩を進める一人の青年の姿。

「もてたい」という感情からお笑いになろうと決意し、大阪に行きたいことを母親に告げるが反対される。なんとか説得して「関西の人十人に聞いて十人が知っている大学に行けたら、大阪に行かせてやる」と言われ、浪人時代を経て関西大学へ入学する。
大学三年生のときにNSC二十二期生となるが、同期のキングコングに圧倒的な実力差で引き離されてしまう。当時の相方にできてないと指示することで自分はできている気になっている、天才と思い込ませる山里。コンビを組む相手は次々離れていく。
ピン芸人でもうまく行かず、これはやばいと思って選んだのがしずちゃん。しずちゃん用の漫才の台本を見せて「この台本に未来を感じたら、今のコンビを解散して僕とコンビを組んでくれないですか?」というアプローチが成功した。
何もない時間にたくさん悩み、しずちゃんの「おもしろいボケ」に張り合おうとしていたことに気づき、ボケを引き立たせるための存在になれるよう考え方を変えた。
そしてM-1グランプリ2004では決勝戦二回目のネタでは、賞がかかった大会で嫌われるとわかっていながらも、「今の自分たちを一番わかってもらえるネタだから」とMCの女性タレントにけんかを売るネタを行い準優勝になる。

・天才と凡人の違い
凡人は奇抜なことをしようと思ってする。一方、天才は、したことが奇抜ととらえられる。この二つとも見ている人には同じ奇抜なことなわけで、重要になってくることが、凡人の「しようとしてる」と見せないようにする、努力が必要になってくる。

それではしたことが周りに奇抜ととらえられて、でもそれは奇抜なことをしようと意識しているわけではなくて、だけどそれを自分で認識している場合はなんだろう(否定の接続詞が二回続いた)
「あー、これは周りから見たら奇抜に見られるんだろうな」と思いながらナチュラルに行っている感覚。これは天才なのか凡人なのか…

ちなみに僕が今一番聴いているラジオは「山里亮太の不毛な議論」だ。
(そして僕が一人喋りをする方で特に尊敬しているのは、伊集院光さん、山里亮太さん、あとタイムマシン部Gの白井良さん、オルネポのももやさん、である)

本は関係ないことなんだけど、一人喋りができる人の頭の中って文字でいっぱいなんだろうか。すごく気になる。

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コメント

  1. アマン より:

    もも屋さん、喜ぶだろうな、
    山里さんの、1番、クレバーなポイントは、自分を理解しているところ。

    • 湊太郎 より:

      アマンさん
      もも屋さん、伊集院光の深夜の馬鹿力みたく向かい側に放送作家さんがいるわけではないのに、あれだけ一人喋りができるのすごいですよね。
      おそらく見えないリスナーさんへ向かって伝える気持ちが強いんだろうなーと思いました。
      山ちゃんも売れない時期は「自分は天才で面白い!悪いのは相方!」みたいな考えだったんですから、大きく変わったんですよね。

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