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ショート小説コンテスト『信号~抵抗~』

「締め切り、明日ですよね?」
「だが明日は最終チェックのための予備日なんだぞ」
「作業も、チェックも、両方まとめて一日でやれますって」
「こういうのは時間を空けるからミスに気づけたりするものなんだ」
「部長、俺、今日はどうしても大事なイベントがあるんすよ」
「そう言わずに…ほら、今度飲みに連れてってやるから」
「えーまじすか、残業代出るなら考えますけど」
「えっ、残業代?」
「あ、でも俺、やっぱり今日は連れに会わなきゃなんすよ」
「連れって…」
「ってことで残りは明日やるんで、おつかれーす」

部下が定時で帰ってしまった。いつも残業させているわけではない、月末は忙しくなるとあれほど言っておいたにも関わらず、事前に仕事を終わらせるという考えはなかったのだろうか。

上司としての私は全く威厳がなかった。都心にオフィスを構えていても、小規模会社の部長なんて舐められて当然なのか、普段は淡々と仕事をこなしてくれているが、部下達はここぞとばかりに私の指示を無視する。

私が新人の頃は、当時の上司からの無茶にもなんとか応えようと必死だった。その時代があったからこそ、成長した今があるのだと実感している。しかし時代は変わったのだろう。予め伝えておいた月末の残業すらも平気で断ってくる。断るにしても事前に仕事を終わらすなどの手段も選ばない。これだから最近の若い者は…など言いたくなる気持ちもわかる。

部下の分の仕事も終わらせ、オフィスを出る。この街は一日中明るい。
駅前の大きな交差点の最前に立っていた。世界でも有名なスクランブル交差点で、昼夜を問わず人の動きがある場所だ。今は歩行者用の信号機が赤であるため、振り返ると私の後ろに立つ人も同様にその場で足を止めて、青になるまで待っていた。

私は信号機に嫉妬した。私が仕事の重要さや説いたり飲みに誘うなど様々な手段を使っても部下の一人すら動かせないにも関わらず、こいつらはたった二、三の色の変化だけで、一日に数十万の人や車を動かしているのだ。
歩行者用の信号が青に変わる。なかなか動き出さない私にぶつかりながら後ろに並んでいた人間が追い越していく、この一回だけでも千人以上が青いライトからの指示で歩き出したのだろう。

青色が点滅し赤色に変わった。そこで私はようやく歩き出す。何千何万もの人を動かす信号機への必死の抵抗であった。なるほど、これが指示を無視したときの感覚なのか。なかなかに不安を感じた。

赤になった歩行者用の信号機に対して車用の信号機が青になったが、未だに交差点の中央にいる私は全員の注目の的だった。
「早く走れよ! 轢き殺すぞ!」
窓を開けて大きな声を出し、罵声を浴びせてくる者もいた。
私は一瞬だけ死を意識したが、その信号だけでなく、車に乗る人間にも抵抗してみせるが如く、さらにゆっくりと歩を進めた。

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