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アジカンが大好きな母
邦楽ロックが大好きなうちの母。私の大学時代には仕送り邦楽ロックが大好きなうちの母。私の大学時代には仕送りとしてアジカンやthe chefs cooks meのCDが送られてきたこともある(オススメだから聴いてほしいとのこと)
↓↓私と妹と3人でアジカンのライブにも行ったこともある。
『初めて母親とライブに行った/ASIAN KUNG-FU GENERATION 20th Anniversary Live』
妹と二人でライブに行ったり(私は誘われなかった)、一人で京都音楽博覧会(くるり主催のフェス)に行ったりと行動力がすごい人だ。
どこにいてもただ願っている
そんな母は数年前から「自分の葬式ではアジカンの海岸通りをかけたい」と話している(空気公団と言ってることもある)
「歌詞に人生において大切なことが全て含まれている、と感じたから」とのこと。
私が自分の葬式にかけたい曲
母の話を聞いてから、たまに自分でも考えるようになって、最近になって私にも「これかも」って曲が見つかった。
「世界中に花束を」はバックホーンが2011年の震災を受けて、リリースした曲。楽曲での収益の全て義援金として被災地の方々に送っているらしい。
しんどいときに聴いてたバンド
THE BACK HORNは大学時代からすごく好きで、病院実習とか人生で一番しんどかった時期には「刃」とか「戦う君よ」を聴いて歯を食いしばっていた。
「戦う君よ」が実習先の病院の最寄り駅を出た瞬間に、すくむ足をなんとか進めさせるために、「刃」は家で一人で泣きながらレポートを書いているときや、心が弱っているときに何度も聴いていた。
Zepp Nagoya「刃」を聴いたときには、最前列で大号泣していた(そのときの対バン相手が10-FEETで「RIVER」でも泣いてた)
歌詞の考察をする
なんて偉そうなほどでもないけど、
気になった歌詞をいくつか挙げてみる
何故だろう 何もないな
「世界中に花束を」歌詞:THE BACK HORN
あんなに欲しかったのに
あるのは寂しさと霞がかった空だけ
この世を旅立つ直前のことか。
欲しかったものが何かわからない
(自由が欲しかった?)
霞がかった空は、先の見えないイメージだろうか。
生きるの簡単なことはでないけれど
「世界中に花束を」歌詞:THE BACK HORN
辛いだけでもないだろう
ひと気のない明け方の街を歩くのが好きだった
この部分はなんだか死後の世界に一人で向かう様子にも思える。上記の「生きる」は現世とも来世(死後の世界?)とも考えられる。
あと単純に、私もひと気のない明け方の街を歩くのが好き。「朝→はじまり、誕生」と連想するので、一日の(世界が)はじまる瞬間に立ち会っている感覚。
世界中に花束を 太陽が昇るその前に
「世界中に花束を」歌詞:THE BACK HORN
光や笑顔や喜びに隠されてしまうその前に
花束は仏花のことだと思った。
妹に尋ねたら「(亡くなった人に向けてと)大事な人をなくした人へってイメージ」と話してた。なるほどね、私は自分が死ぬ立場のことしか考えていなかった。前にも書いたけど、東北自身を受けて作られた曲でもある。
今 心の扉を開いてゆくのさ 眠れる孤独を連れたまま
「世界中に花束を」歌詞:THE BACK HORN
心臓は動くのさ 世界も動いているのさ 誰にも邪魔されることなく
「眠れる孤独」は表に出していない寂しさ?
もしや本人も気づかずに隠している?
それを捨てる・置いてくわけではなくて、寂しさから目を背けずに進んでいく。
「心臓は動くのさ」という歌詞を見ると、この部分は生きている残された人に向けてだと思う。
世界中に花束を 太陽が昇るその前に
「世界中に花束を」歌詞:THE BACK HORN
光や笑顔や喜びに隠されてしまうその前に
光の眩しさで誤魔化さない(?)で、死と向き合う時間を作ろう、ってこと?
私の葬式では、私の死にちゃんと向き合ってもらいたくて、私の死を受け入れながら(でも引きずることなく)、生きていって欲しいな、と思った。だからこの曲をかけたい。なんか偉そうですみません。
葬式の特性を考えたら
今までの流れを壊してしまう文章になるけど。
葬式はそこそこ長時間に及ぶものだ。
5分程度の曲じゃループすることになる。
後半の盛り上がりが大きすぎる曲(たいていの曲はそうだろうけど)を選ぶと、一回の葬式の中で浮き沈みが何度もあると変な感覚になりそう。
だから繰り返しに適した曲はなんだろうな……と考えたら真っ先にビタースイートサンバが思い浮かんだ。この前もオールナイトニッポンで15分くらい連続で流れていたみたいなので。テンポをゆっくりにして、オルゴールverにしたら適するかも。
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