自分はいつもA4 用紙の真ん中にテーマを書いて、そこから分子構造のように連想するものを一面に書いていく。その中で「水槽→箱→教室」と思いついた。ちょうどその頃に『きみはいい子』を観て、教室で走る回る子供が印象に残っていたことから「水槽で自由に泳ぐ魚」を連想していた。
支配欲の強い人間が、実際には自分も支配されているのだと気づくことにある。海の魚が好きではないのも、自分が支配できないからだ。「海⇔水槽」「自由⇔支配」を対比させている。
ただ対比させるだけではなくて、対比の印象を強めるために、「水槽と教室」の共通点についても伝えようと思い、どちらにも「透明なガラス」という表現を入れた。
これだけ教室で騒ぐ生徒は小学生(それも低学年)だとすぐに判断できそうだが、わかりやすいように「”さんすう”の授業」と言わせた。
最後の「息が、苦しい…」は水槽に水が入っているような身体的な苦しさと、「自分も支配されている」という精神的な苦しさの両方を表現しようと考えた。
居心地が悪いために、クラスの冴えないやつらのフォローをする”俺”が、水槽の中で生きる金魚を見て、自分の生活する環境との比較をしている。
自分の住む世界と水槽の世界を対比している部分は、僕の作品と似ていると思った。僕の作品は水槽を「支配」の象徴として書いているが、黒川先生は「大きな意味での自由」を表していると思う。
きっと”俺”は「自分の居心地が悪い」から、エサを食べられなかった残り一匹の金魚にも、もう一度エサを与えようとするのだろうな…
「『死ね』は文明の利器によって消滅した」という表現が個人的に好きだ。
あと、すごい今さらなんだけど、サブタイトルは作品全体を表すようなものをつけなくても良いのだと気づいた。
「桃川先生、天才かよ!」と思った。「水槽で雨を飼う」なんて考え、思いつかなかった。「今日のえさは月でありんす」なんて、とても洒落ている。どうやって思いついたのだろうか。空の水槽を外に出していて、雨が降ってきたときに、ひらめいたのだろうか?
冒頭の「俺ァ、詩を書くが、其れはむしろ、詩を詠んだ後の残骸だ」で思い出したエピソードがある。黒沢明監督は本を読むときには必ず手元にノートを置いて、心を動かされた言葉やエピソードというトビウオを、海中に没する前に網ですくい上げるように、逐一書き留めて置いたらしい。(「天才になる瞬間/齋藤孝」より)
「その瞬間に感じたことを大切に書き留めておく」黒沢明監督と「詩で大事なのは、書かれたときではなく、初めに最も心が動かされて詠んだとき」という考えが共通していると思った。
今度、機会があれば、桃川先生にこの作品の考え方を教えてもらいたい。
僕も「ひとりごちる」なんて言葉使って文章書いてみたい。
黒川先生も、桃川先生も、すげえ面白い。同じテーマで書いていても自分にはない考え方や表現が出てくるので、すげえ楽しい。
読者も、作者も、もっと増えたら良い。
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